東京中央郵便局に出来た商業ビルのKITTE、今年もクリスマスのディスプレイが出来ました。
毎年思うのですけど
山から大木を切り倒して都内へ運びプラスチックを吹き付けられて佇み
クリスマス終わったら切り刻まれて建材にもならずに廃棄されてしまうという悲しさ。
どうみても美しいとか思う前に悲しい気分になるのはおやぢだけなのでしょうか?
林を整備するとか、間伐材は木材として使うとか、木っ端は薪にするとかするなど言っている訳じゃないんです。
ただのディスプレイなら合成品で良いじゃん、無駄に使うなといいたいだけです。
馬取のメガソーラーも同じ。
無駄に切らずに葦の原になっている隣の敷地で作れば良いじゃんと言いたいです。
法を無視して浜岡を停めさせた独裁者の末期に設計不備のまま施行された悪法のツケは、大きな負債として次世代に引き継がれてしまうんですね。
庭の小さなモミジのほうが癒されますね。
コメント