1963年は所要時間3時間



 Yahoo!オークションで1963年の時刻表を落としてしまいました(^_^;)

 草軽電鉄のダイヤが載っている大判時刻表と思いきや、ポケット時刻表だったので相当ガックリしたんですけど、読み始めれば宝の山で一時間ほど物もいわずにタイムスリッブしてしまいました。

 赤ん坊の頃に乗ったと聞いていた一等寝台車のあさかぜ、12才の時に乗ったそれとダイヤが変わらないのにびっくり。

 そもそも東海道線、山陽本線の全線電化は……6000文字省略……で、小学生の頃に西鹿児島まで乗ったはやぶさは熊本からディーゼル機関車に交換するとスピードダウンして……12000文字省略…
…なので当時の写真が行方不明なのが残念です。

 次に気になったのは信越本線。

 松井田、横川、熊ノ平、軽井沢。

 西松井田が無くて、熊ノ平は特急は通過するもののほとんどの列車が停車してます。

 時刻表は昭和38年3月、碓氷峠の新線開通は同年10月なのでおやぢの運転しているEF63 営業運転前なんですね。

 急行妙高は上野から軽井沢まで3時間と少し掛かっていて、準急軽井沢は碓氷峠の容量が足りないのか横川まで走って連絡バスで軽井沢入りしていました。

 びっくりしたのは上野発大阪行き特急白鳥、上野→長野→直江津→金沢→米原→大阪 という北陸新幹線と同じ運転していたんですね。

 特急でも上野から2時間50分でした。

 一等寝台車付きで当時の特急は富裕層相手の列車だったのが分かります。


 自分の金で軽井沢来れるようになると上野から2時間、今は新幹線で1時間。

 便利になったけど風情が無くなったなと思うのは、おやぢだけなのかな?

 タモリ倶楽部のように鉄道ネタは明日も続く…かもしれません。(^_^)b